2006/06/18

2006.06.18

 明け方。風呂上り。一糸纏わぬ姿でパソコンに向かう。せめて一糸纏おうと思い、糸を一本肩にハラリと乗せてみる。一糸纏ったぞ!  で?


 この時間、全裸でパソコンに向かうのは私のライフワークだ。もし、明日のこの時間、貴方の足がやたらと温かくなり、悶々として寝れなかったら、私が全裸でパソコンのキーボードをカチカチと打ってるのを想像して下さい。いつもより、トロミを帯びた寝汗がでる事請け合い。



 新宿に、良く行く喫茶店があるのですが、駅のすぐそばにあるのですが、イマイチ客がまばら。新宿なのに非常に風紀がしっかりしてて、大変落ち着くのです。何ていうか、新宿っぽい人がいない。

 新宿っぽい人。テラテラした生地のアロハっぽいシャツ(だけど和柄)に金のネックレスをして、少しだけ余裕のあるタイトなチノパンに白いエナメルの靴。名前はヤス。いかにも三下っぽい喋り口調で、弱者に強い。兄貴(銀兄)には足を向けて寝れない。新宿っぽい人。そんな人はいない。


 私はその喫茶店にはだいたい一人で行く。決して一緒に行く人がいない訳では無い。珈琲を注文して延々と下らない事を考えるのだ。私は常に"思いついていまった帳"という名の小さなノート(現在4代目)を携帯している。その喫茶店に行くと、何故かノートのページの進み方が尋常では無い。

 この前、その店に行った時の1時間掛けて、そのノートに綴った一節をご紹介します。



 折り紙は、何かを折る前の紙の事も"折り紙"と呼ぶのだろうか?それとも、その紙を使って、何かを折る行為の事を"折り紙"と呼ぶのだろうか?
 例えば「折り紙してよ。」と言われて鶴を折ったとすると、紙を折る行為を”折り紙”として認識した事になるが、「じゃぁ、その紙は何?」と言われると私は「折り紙です。」と答えるでしょう。って事はあの紙も”折り紙”と認識してる事になる。

 しかし、何か折り終わった紙の事を『折り紙で作った鶴』と答える。という事は、やはり紙を折る行為の事を”折り紙”と認識して間違い無いのでしょう。だって、折り終わった紙は”折られ紙”だから。





 何だコレ。よし。死のう。