2012/07/10

2012.07.09

「ふざけないで真面目にお願い出来ますか?」と大人に真顔で言われると怖いですが、それはアイデンティティを否定されているのと同じです。
「善人ぶらなくてもいいですよ」や「何でそんな余計な事言うの?」と言われたとします。善人ぶらないと外界に悪影響しか与えない人種で、成立させる為自粛しているって可能性もあります。私は違います。偽善です。余白です。


師と崇めている小学生がいて学校で何と呼ばれているのかを聞いた所『オリジナル』と呼ばれていました。全ての解釈が可能。ネーミングセンスの良い友人に恵まれたな。いじめられていないかな。大丈夫かな。
現在彼のスカイプコメントは『ユダヤ教に改宗すれば13才で成人になれる』と書かれています。
良い感じに拗らせています。その前は『本当の事が面白くないのは本当の事だから』でした。人類は確実に進化してます。

話す内容は幼いですが30分に一回くらい何らかの概念を根底から覆す発言をするので2人で話すのは問い掛けられ方式の禅問答だと思えば楽しいですが、その場のパブリック性が高いとドキドキします。でもあえて電車乗ったり。
2012年現在の小学生は動物園で「ライオンも自分達のことを特別な存在って思ってるのかな?」って言います。もう動物どころじゃない。さっきまで動物園は動物の解説が書かれたプレートで個性を出している事を批評をしていたのに。末恐ろしい。



そろそろインターネットを公共の物だと自覚しないと良くない気がします。だからそろそろ徐々に慣らして行かないと。あの頃のインターネットはもういない。みたいなトークライブをロフトプラスワンでやってそう。超やってそう。調べたいけど調べない。この『知りたい』って感情が何かの間違いで快楽中枢と関連付けされてしまった場合、関連付けが間違って無い人達に『特殊な変態』って名前のフォルダに保存されます。


「話が理屈っぽい。」や「とりあえず理屈抜きで説明して。」と言われもっと感覚で話すと、さっきより伝わらない。3種類の音しか出せない人になれば諦めてもらえますがテクノロジーがまだ追いついていません。