2007/09/18

2007.09.17

 テレビは見ないのですが、テレビを買いました。薄型です。

 何やら薄型は消費電力が少ないとかで『ホラ、お前も省エネに協力とかさ。すれば?』的な。ちょっと悔しいので、一番消費電力の多いのを調べて買いました。ちょっと大きいのを買ってしまい、置き場所に困ってます。まだ一度も使った事がありません。これぞ省エネ。早くも邪魔で仕方ありません。



 こう、やらねばいけない事が増えてきた時に限って、ココを更新したりするのですが、恐らく現実逃避なのでしょうが、ココで呼ばれる”現実”の定義があまりにも曖昧です。この世界における絶対と言われるものは、ゲーテルが見つけた不完全性定理のおかげでもう無くなった訳です。

 つまり、首都高の渋谷線を世田谷方面から上がってきた時に見える六本木ヒルズは曲がって見える訳ですが、これも絶対とは言えない訳です。


 例えば、今目の前に見える現実でさえ、本当にそれは本当なのか?それすら怪しくなってくる訳ですね。自分が勝手にそう思ってるだけかも知れません。もしくは、そう思う事により自分に都合が良くなるが為に自分を誤魔化し続けてるだけかも知れません。


 試しに、手に100円を持ってみて下さい。ほら。早く。持たないなら話は続けないよ。いや、続けるは。でも、持って。持って下さい。え?何?まだその事で怒ってるの?は?バカだな。大丈夫。大丈夫だって。うん。あぁ。うん。好きだよ。大丈夫だって。そんなんじゃないから。うん。うん。好きだよ。


 で、その100円は、100円の価値は勿論あります。しかし、使い方で全然価値が変わってきます。使う人の器量やら知性やら、あとボロボロになったiPodを『逆にカッコイイ!』みたいな感覚で使ってる風にしてケースに入れて使ってる人を小馬鹿にしながら、次回買い換える時には一緒にケース(ハードケース)も絶対に買うと心に誓う28歳。もうすぐ秋。我家の裏の栗林を見ながら金儲けの算段。将来の不安が全く無し。それはそれで逆に問題ですね。


 その100円で、紀文の調整豆乳を買うのも良し。しかし、その100円で命を救う事も出来るでしょうし、その100円で世界を救う事も出来るでしょう。それはその使う人の器量次第な訳ですが、コレは100円で無くとも同じ訳です。





 即ち、大金叩いてテレビを買いましたが、邪魔。これが全てで、これが現実。